北新地競馬交友録

ワコーチカコの京都記念

台湾南部を襲った地震で、死者が45人、負傷者は548人に上っている。
死者、負傷者が集中している台南市の雑居ビルの現場では、必死の救出活動が行われているが、遅々としてとして進まず、生存の限界とされる72時間を過ぎ、現場を暗い空気が覆っているそうである。
台湾の方々には、3.11『東日本大震災』でも多くのご支援をいただいた日本。
何かに付けて対立を煽る、どっかの国とは大違いなのだ。
お返しをせねばなるまい。
しかし、地震てやつは始末におえないもんである。

マスターの人生最悪の年1995年は、『阪神淡路大震災』が京阪神を直撃。
家が倒壊してみなしごハッチになってしまった。
避難先は、大昔に卒業した小学校の体育館。
バット!仕事と手形は待ってくれないで、とにかく働くしかない。
特に守口の某巨大メーカーのカタログは納期が迫っていた。
避難先から通うには、A市から西宮北口まで原チャリで、そっから電車で職場まで。
これがなかなかどうして毎日の事だと大変なのである。
勢い、徹夜で仕事をした後は、サウナや職場に寝泊まりする事になる。

避難生活で1番辛かったのは、お風呂に入れない事。
なんせ水が出ない、電気も通ってないのだから、どうしようもない。
「ブルーシートおじさんも、気楽で悪くねえけど、風呂に入れね〜のがな〜」と云うぐらいのお風呂好きのマスター。
当時、1番良く通ったのは心斎橋にある『清水湯』銭湯である。
そしてその『清水湯』から、南にテクテク歩くと、大阪球場のウインズ難波に行き当る。
「小学校の体育館に帰っても、暗え〜だけで気分が滅入る。馬券でも一丁いわしてやっか!」とウインズ難波に突撃したのが1995年2月12日の日曜日、『京都記念』の日である。

8頭立てと少頭数ではあったが、菊花賞馬ライスシャワー、オークス馬チョウカイキャロル、愛すべき追い込み馬ナイスネイチャー、長距離ならドンと来いムッシュシュクルの好メンバーが揃った。
馬券はご贔屓、道頓堀の食い倒れ人形と称された小島貞のチョウカイキャロルの単複だ。
「逃げろ!逃げまくれ!貞!」
薄汚れたダウンジャケットのマスター、渾身の応援を送るが、一頭内ラチ沿いのグリーンベルトを矢のように飛んで来たのが、オリビエ・ペリエ騎乗のワコーチカコ。
「ペリ公!来んじゃねえ!」の叫びも虚しい。
菊花賞馬ライスシャワーが外から一瞬伸び、ナイスネイチャーがお約束の追い込みをかけるも、それをあざ笑うかのようなワコーチカコの見事な勝利。
チョウカイキャロルは藤田Jのムッシュシュクルにも交わされての4着。

今でこそ、外人Jなんて珍しくもなんともないが、1994年に来日、JAPAN市場を開拓したオリビエ・ペリエの騎乗は衝撃だった。
コースロスを全くしない。
本人も後日話しているが、「とにかく内ラチ沿いを走る。こちらから仕掛ける必要はない。コーナーに入ると、自然に前が開く」
当時は、日本人Jのレベルが低く、コーナーで膨れてインがガラ空きに。
インを締めると云う意識が非常に薄かったのである。
満面の笑みを浮かべる薄毛のオリビエ・ペリエと誇らしげなワコーチカコ。
「下がっちゃ怖え〜ぜ、柳のお化けよ」と力なく呟いたマスター。

大儲けしたとか、予想がドンピシャだ!
なんて景気のいい思い出ではない。
あの時の我が身の不幸と、余りにも掛け離れたオリビエ・ペリエの笑顔が忘れられないそうである。
さ〜今年はどんなドラマが待っているのか。
マスター!気合入れて予想しろよ。