北新地競馬交友録

1995年のビワハイジ

21回目の1月17日が来る。
1995年『阪神淡路大震災』発生。
兵庫県を中心にマグニチュード7.3の大地震が襲った。
死者 : 6,434名、行方不明者 : 3名、負傷者 : 43,792名
住宅被害 : 全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計249,180棟一部損壊390,506棟、まさに未曾有の大災害である。

その兵庫県の中でも激震地区の一つA市に住んでいたマスター。
一戸建て住宅の二階に、今は縁が切れてしまった奥さんと寝ていたんだが、「ドン!」と云う縦揺れに続いて強烈な横揺れを感じた。
寝ぼけた頭で「なんだ?!」と思ったその時、二階の床が抜けてベットごと一階へ、そして頭の上から梁が落ちてきた。
一瞬の出来事である。
一階にベットごと落下したマスターと奥さんを救ったのはその梁。
複雑に重なりあったであろう梁の間の僅かな隙間で、泣き叫ぶ奥さんに「落ち着け!」と一喝。
まさに生き埋め状態である。
その二人が助けられたのは、なんと12時間後だと云うんだから、奇跡と云っても過言ではなかった。

「ゴルフ場すいてるらしいで〜。行けへんか?」
当時サラリーマンで、守口の某メガ企業を担当していたマスター。
あまりの他人事で無神経な発言に、一瞬ぶん殴ってやろうかと思ったが、「家を無くして、職まで無くしたら洒落になんねえ」と拳を握りしめて堪えた。
『人の痛いのは100年我慢出来る』
昔の人は上手い事を云ったもんである。

「こんな所で会うとはな〜。大丈夫やったか?」
「うん、まあなんとかな、死にはぐれちまったってとこかな。家は無くなっちまったがよ」
「死なんで良かったやんか。命あっての物種やで」
「そう思わなきゃ、やってられねもんな」
「そや、そや」
避難先の大昔に卒業した小学校の体育館で顔を合わすのは、何十年ぶりかの同級生達である。

宝塚にある阪神競馬場も被害甚大。
テレビには大きく傾いたパドックの大屋根が映しだされていた。
当然、開催は京都、中京に振り変えられたが、その年の暮れに復旧して11ヶ月ぶりの再開となった。
そして12月3日、復旧後初の重賞、3歳女王決定戦の『阪神3歳牝馬S』が行われた。
もちろんマスターもダウンジャケットに身を包み、朝一から駆けつけたんだが、久しぶりの競馬に場内はごった返していた。

1 1 エクセレトシャトー 田島 信行
2 2 シーズグレイス 蛯名 正義
3 3 イブキパーシヴ 武 豊
4 4 ロゼカラー 藤田 伸二
5 5 ジュディペアレ 河内 洋
6 6 ビワハイジ 角田 晃一
6 7 ノースサンデー 熊沢 重文
7 8 ゴールデンカラーズ 横山 典弘
7 9 エアグルーヴ M.キネーン
8 10 エイシンビーナス 田原 成貴
8 11 ナナヨーストーム 石橋 守

「さ〜4コーナを回った、ビワハイジ先頭だ。場内から大歓声が上がる!逃げる!逃げるビワハイジ!エアグループが迫る!内から!内からイブキパーシブ。ビワハイジだ!まんまと逃げ切ったビワハイジ優勝!」

ウィナーズサークルで高々と手を上げる角田J。
凛として立ち微動だにしないビワハイジ。
「ええぞ!角田!ようやった」
あちらこちらから声援が飛ぶ。
その群衆の中に立ちすくむマスター。
横にいたおっさんが、「なんや?兄ちゃん泣いとんかいな?」
「泣いてる訳ないじゃんか。そう云うオッさんかて涙出てるぜ」
「アホか!これは汗や!汗。目に汗かいとんじゃ」
あちこちで、あの寒いのに目に汗をかいている人間がいた。
群衆の脳裏をよぎったのは、阪神淡路大震災発生以降、耐えに耐えた苦しい日々だったのかも知れない。

1995年のビワハイジ。
君は!君は最高だったよ!