北新地競馬交友録

転がる石のように

我らが安倍ちゃんが狙撃され、命を落とす事態となった。
平和ボケしている脳天に一撃を喰らった気分で、心より冥福を祈るしかない。
犯人の動機は、某宗教団体への恨みで、安倍ちゃんが懇意にしていたとの思い込みだそうな。

その報道を見て思い浮かべたのが、作家であり放送作家としても大活躍していた故景山民夫の事である。
ある時期から某宗教に傾倒し、首を傾げる行動を連発していた。
亡くなったのは、自宅書斎で喫煙しながら趣味であるプラモデル制作をしていたところ、接着剤から気化したシンナーに引火し、50歳で旅立った。

「鰯の頭も信心から」
何を信じようが個人の自由であるが、影山民夫と宗教と云うのがどうにも結び付かなかったのには理由がある。
1987年に発表した小説『転がる石のように』。
作者であろうと思われる哲夫が、USAをギター一本で自由に渡り歩くストーリー。
当時、ウルトラブラック広告制作会社に勤めていて、ニッチもサッチも身動きが取れなかった我が身には、随分と酷な小説であった。

因みにどれぐらいブラックかと云うと、とにかく社長が帰らないのである。
要するに、俺がいてるのにお前らが帰るのか!
はたまた、土日に出勤してまたまたお前たちも休日出勤しろと圧を掛ける。
しかも、仕事をしている訳ではない、ただ本を読んで監視しているだけなのである。

今から考えたら、冗談みたいな会社だったが、さざえさん症候群に苛まれながら、ニャンと!16年も勤めてしまった己の馬鹿さ加減には唾を吐きたくなる。
随分と話しが逸れたが、そんな周りがまるで見えなくなって洗脳されたようなサラリーマン生活に、影山民夫の『転がる石のように』は衝撃だったと云う昔話なのである。

「マスターさん、おはようございます。今朝も蝉が元気ですね。」は熊本天草出身○原さん。
「ああ、俺んとこも、朝の5時ぐらいから大合唱。鳴き方がブリリアントじゃねから、油蝉じゃねえかな。マジカル勘弁してほしいぜ。勘弁と云や〜先週のウチパク、恭介、脩の情けねえ事ったらありゃしねえ。まったくノーマーク勝春のエヒトが鼻歌混じりで突き抜けてんだから世話ねえや。大体が………..」
日曜日の朝のお約束、ボヤキ節は止まるところを知らない。

「今日は荒れまくりの『函館記念』ですか?」
「たわけ!カッチンカッチンのレースでもあたらねえのに、あったらレース当たる訳なかろうもん。発表!小倉1Rお世話になっている京都馬主協会会員N社長のマサハヤニースが勝つ!単複は安くてどうしようもねえから、馬連ど本線5ー6を4万と2千5百、元返しで2ー5を7千と5百で絵にして貰おう。」

「1Rですか。えらい早いレースですね。1日が長いですよ。」
「まて、まて、1Rの払い戻しを同じく小倉の2Rマメコちゃんの単複に2対3の割合で張り付ける。阪神馬主協会なのはイマイチだが、この馬主さんにも大概世話になってんだ。」と結論付けたマスター。
どうやら、お世話なってます、ペコリ馬券でいい目をしようと云う目論みだ。

影山民夫は『転がる石のように』でUSAを渡り歩き見聞を広め、一世を風靡した。
もっともマスターの馬券が転がるかどうかは不明なのである。