北新地競馬交友録

ダービーがやって来た

「歌は世につれ、世は歌につれ。おばんです。」 
NHK『ふるさとの歌まつり』の司会は、国民的人気を誇った宮田輝アナウンサーであった。
歌好きの真っ当な国民の皆様は、木曜日の8時になると、テレビの前におっちんこ。
流れるように流暢な宮田アナの進行にウンウンと頷いていた。

今でこそ、新型コロナウイルス騒動をバックに大躍進の中央競馬だが、それこそ宮田アナが人気絶頂だった頃は、電車の中で、競馬新聞でも広げようもんなら、シャープな視線があちこちから突き刺さって来たそうな。
背任横領のニュースが流れると、2回に1回は使途として馬券購入と報じられた。
現在では想像も付かないぐらい、パッシングを受け続けていた訳である。

格段歌好きの方でなくても、思い出に残る歌があり、その歌がヒットしていた時代に思いを馳せる事がある。
筋金入りの競馬好き、馬券好きなら、歌の代わりにと云ってはなんだが、ダービー馬の名前を聞くだけで、その頃の事を思い出す。
更に云うならば、自分にとって大きな出来事があった年のダービー馬はキッチリと覚えている。

1983年結婚した年は、吉永正人を背に、トウショウボーイとシービークインの子、ミスターシービーが勝った。

1995年阪神淡路大震災で自宅が全壊した年は、ニコリともしない小島貞博がタヤスツヨシの馬上で右手を上げた。

1997年離婚が成立した年は、府中の長い直線を大西直宏がサニーブライアンで逃げ切った。

2003年長年勤めたウルトラブラック会社とオサラバした年は、ネオユニバースがデムーロに日本移住を決意させた。

2022年新型コロナウイルス騒動の影響が大きく四苦八苦、悪戦苦闘の日々が続いているが……….勝つのは川田Jのダノンベルーガか、ルメールJのイクイノッスク。
若い頃はダービーともなれば、張り込んだがとてもそんなパワーはもうない。
この2頭のワイドに5万。

来年のダービー。
指を咥えて見てるだけ〜にならないよう。
たまには当たって欲しいがマスターの切なる願いのようだが………さて。