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わたしの勝利

第8回木村 信彦さん

わたしは平成9年に、山本慎一さんに誘われて馬主登録をして、これまで64頭もの馬を所有しました。

何もわからない私に「とりあえずは抽せん馬を申し込んでみなさい」と、言われるがままに申込みをし、初めて所有したのがトウケイヒメ号でした。トウケイヒメ号は480万円位で購入しましたが、結局3勝を上げてくれて、「馬主って儲かるな~」と勘違いさせられました(笑)。

しかし、その後馬を買えども買えども走らず、結局トウケイヒメ号の最後の勝利から、次の勝利まで2年以上経っていました。

次に勝利したのはトウケイオー号という馬で3歳最後の未勝利戦でした。その翌年も、3歳の最終未勝利戦でトウケイチトセ号というのが勝利しました。どちらも最後の未勝利戦での勝利でした。

またこのころに、トウケイカントリー号という未勝利馬をあまり深く考えずに障害レースに出したところ勝利し、その後障害オープンを2勝してくれました。「これは!」と活躍を期待した矢先に骨折してしまい、残念ながら引退となりました。

その後、2011年まで6年間、1勝も出来ないという苦しい時期が続き、競馬の難しさを思い知らされました。

そして、私にとって忘れられない馬、2011年にデビューしたトウケイヘイロー号と出会いました。
トウケイヘイロー号はダービー卿CTを制し、私に初めての重賞勝利をもたらしてくれました。
次走の鳴尾記念は、実は調教師の先生からは出走に反対されていましたが「人生、先があまり長くないから」とお願いし強引に出走。勝利した時は正直自分でも驚きました。
実際、他の調教師からも無理だといわれていて、その後の函館記念(GⅢ)・札幌記念(GⅡ)と重賞3連勝するとは、あの時点では思いもしませんでした。安田記念に出走も期待をしていたのですが、京王杯SC(GⅡ)で敗れ、賞金が足りず出走できなくなってしまいました。

もし、あのまま安田記念に出走していたらどうなっていたのかな?と考えたりもしますが、競馬は本当にわからないものですし、わからないから面白いのだと思います。

トウケイヘイロー号は札幌記念後に休養させようかと考えておりましたが、ファンを含め回りの方々から「秋の天皇賞頑張ってください」との声をかけていただき、挑戦させていただくことに決めました。
馬はもちろん、スタッフも一生懸命がんばってくれています。皆様のご声援に応えてくれるかな?というのが正直な気持ちです。

今後も馬主として所有馬の応援を競馬場で楽しみたいと思っております。

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