お父様が熊本県の荒尾競馬(廃止)で調教師をされていて
ご自身もその厩舎で働いていたことがあるという
栗東・吉村調教師に取材をした時
「荒尾で一番思い出に残っている馬はだれですか?」
と伺うと
「何頭もやっていましたが、勝って嬉しいというよりも
脚元がダメになったりで走れなくなり
馬肉になっていく現実が辛かったですね」
とおっしゃられました。
馬を食する事も文化。
悪いことではないですが
”誰よりも速く走って、私たちに夢や感動を与えてほしい”
そう願って生産された元競走馬たちだと思うと
やるせないというか、人間の色んなエゴが詰まっている気がして
目をそむけたくなります。
「可哀想だから殺さないで!」
と、その馬の面倒を一生見るわけではないのに
言ってしまうのはエゴだし
かと言って
「走らない競走馬は肉だ!」
というのも、”速く走れ”とトレーニングしたり
”おいしい肉になるため太れ”と言ったり
馬にとって申し訳ないなぁと思ったりするのです。
(この辺りの価値観は、本当に人それぞれだと思います。)
今日、見てきた映画「祭りの馬」
この映画にはそんなテーマも少し含まれています。
どんな話か、一言で言えば
震災後の原発事故で被災した馬たちのお話です。
中には、JRAも地方競馬も未勝利で終わり
食肉となるはずが
原発事故で内部被曝の恐れがあるため
生き残った牡馬もいます。
※もっとちゃんとしたあらすじは
こちらの記事で分かりやすく紹介されています。
これまで私たち競馬ファンが
”知ってはいるけど、目をつむってきた”
未勝利馬の行く末にも触れられています。
少し古い資料になりますが
馬肉生産量(平成16年)
1位 熊本県 約44%
2位 福島県 約14%
(農林水産省HPより)
映画「祭りの馬」では
津波や原発事故の影響で飢餓状態に陥り
アバラが浮いたり、トモがガレてる馬が映されます。
2年前、荒尾競馬最後の日にパドックで見た
少し痩せた馬たちを思い出しました。
そして冒頭で紹介した吉村調教師のお言葉。
”馬肉になる”ということは、
どこか別世界でおこなわれているような感覚がありましたが
なんだかそうじゃないのかもしれない、と感じました。
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