~「プリンセスジャックと桜井調教助手 Part.1」から続きます~
プリンセスジャックを担当する桜井調教助手が
馬の世界に入るきっかけは何だったのでしょうか?
教えてもらいました。
* * *
高校卒業後は、何か手に職をつけたいと思っていました。
動物園良いけど、カエル嫌やしなぁ。
水族館良いけど、カエル嫌やしなぁ…
で、オーストラリアでホームステイしながら馬の学校に行っていました。
高校生の時、ナリタブライアンが好きだったんですよね。
オーストラリアの厩舎でも毎朝カエルが出没しましたが
バケツを叩いて追い払っていました。
英語はしゃべるどころか読むのも書くのもまったくダメでしたが
半年いれば、聞く分にはわかるようになりました。
「思い出作りに働きたいな」と思い
オーストラリアの厩舎で働かせてもらうことになったんですが
その厩舎は僕が来るまで調教師一人で8頭をやっていたところだったんです。
一日目、調教師に
「お前は何になりたいんだ?」
と聞かれ
「調教助手になりたい」
と答えました。
すると「任せとけ!!」と。
そしたら翌日にいきなり馬に乗って
その次の日には追い切りに騎乗していました。
これまで学校で乗っていたくらいで、競走馬には乗ったことがなかったのに。
2~3ヶ月もすると
「お前が全て乗れ」
と任されました。
でも、調教に乗っていても上手くコントロールできないし
馬も勝てないし。
そんなんじゃ申し訳ないので馬主と調教師の前で
「ちゃんとした人を乗せてください」
とお願いしたんです。
そしたら
「最初からうまく出来る奴なんているか!」と怒られてしまいました。
馬主も調教師も自分たちの生活がかかっているはずなのに。
もう引くに引けないですよね。
思い出作りのために始めたことが、結局もう1年いました。
日本人って真面目でしょ?!
雨の日はオーストラリア人はあまり調教に出てこないので
僕が売れっ子になるんですよね。
他の厩舎からも調教に乗ってほしいと声がかかったり。
調教師が田舎に帰っている時には
フリーで1頭いくら、というかたちで調教に乗ったり競馬に連れて行ったりもしていました。
そんなこんなで過ごしたオーストラリアから帰国する前
「ドバイに行かないか」と声を掛けられました。
オーストラリアで働いたことのある調教師の息子がドバイで調教師をしていたんです。
ただ、タイミングなどが合わず断って
日本で父の知り合いの北海道の牧場で働き、トレセンに入ってきました。
そんな風に高校卒業後はオーストラリアや北海道で過ごしていたので
6歳離れた弟とは小学生の頃から会っていませんでした。
久しぶりに会ったら、僕より背が高くなっていたんですよ。
* * *
小学生の頃の夢はサッカー選手だった弟さんは
その後、兄の背中を追ってホースマンとなりました。
弟・吉章調教助手は、トレセンに入って1年目にイコピコで重賞初勝利を挙げ
現在も西園厩舎で高松宮記念3着のハクサンムーンやハノハノなどを担当しています。
「コイツね、すぐすねるんですよー」
と、年の離れたお兄さんらしい発言もされていましたが
その表情には、我慢以上に愛情があふれていました。
弟と言えば、プリンセスジャックの弟がオークス直前にトレセンに入ってきました。
全弟にあたるジャックトマメノキも同じオーナー、そして加用正厩舎。
担当も同じ桜井嗣久調教助手です。
「弟のジャックトマメノキは、プリンセスジャックより大変ですね。
コントロールは効くんですが、普段が…。
ビビリのくせして人に向かってきたりするんです。
テンションが上がりやすいですね。」
こちらの弟に対しても、我慢とたっぷりの愛情が窺えます。
姉弟の母ゴールデンジャックは今春、心不全で亡くなったため
残された産駒たちに、ファンの期待は高まります。
「トレセンで働く人には、偉大な兄弟がもっとたくさんいますよ」
と桜井調教助手はおっしゃいます。
プリンセスジャックとジャックトマメノキの活躍で
桜井兄弟もその仲間入りする日も、遠くはなさそうです。
桜井嗣久調教助手とプリンセスジャック(鞍上は福永騎手)