夢への第一歩

名付け親さんいらっしゃ~い!ポアゾンブラックPart2

 

 

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「名付け親さんいらっしゃ~い!」

このコーナーでは、京都馬主協会会員さんの所有馬の名前の由来について

名付け親さんにおのろけ話を語っていただこうというコーナーです。

毎月第3週目更新です。

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第5回目は先日JRA転入後初勝利を飾ったポアゾンブラックと名付け親さんです。

2日目の今日は

宝塚歌劇団の演出家・岡田敬二先生の作品『ル・ポアゾン』から

名付けられたポアゾンブラックが

重賞レースを含むデビューから5連勝で兵庫ダービーに挑んだ時の話です。

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大恵:5連勝で迎えた兵庫ダービーは、どんなお気持ちでしたか?

 

村上様:実は、園田時代はずっと脚を痛がっていたんですよ。

右前脚がソエでね。

まともな追いきりはほとんどできず、15-15くらいしかやっていないんです。

兵庫ダービの前走・菊水賞前に一回だけ少し速い調教をやったことがあるのですが

その時は一気に-15kgくらいになってしまって。

もちろんレースは一生懸命走ってくるので5連勝できたのですが

レース後は跛行しているような状態でした。

 

園田は菊水賞、兵庫チャンピオンシップ、兵庫ダービで三冠レースになっています。

でも菊水賞を勝った後

野田調教師も「兵庫チャンピオンシップを使ったら兵庫ダービーは無理ですよ。」と。

それで兵庫ダービーに直行しました。

 

鞍上の松浦政宏騎手は、圧倒的な1番人気で相当なプレッシャーだったと思いますよ。

ちょうどこの時の兵庫ダービーには

ディープブリランテでダービージョッキーになったばかりの岩田騎手が

園田競馬場に来ていて話したみたいです。

二人は年代も近いのですが

松浦騎手が「不安や。」ともらすと

「自信持って乗ったら、この馬は絶対勝つから大丈夫や!」

と岩田騎手から励まされたそうです。

ただね、結果は…

 

でも松浦騎手も野田調教師も、もちろん私もみんなが勝ちたいと思ってたし悔しい思いもしました。

ファンからは「なんであんな大外まわすんだ」

という声もあり、松浦騎手もかわいそうでしたが、あれは仕方ないんです。

ポアゾンブラックが右前脚を痛いのを、ずっと乗ってきて知っている松浦騎手だからこそ

小回りコースを少しでも大きく回って、脚に負担をかけないようにしたんです。

私も馬術をやっていたのですが、右回りコースでは右脚を先に出すので

どうしても痛い方の脚に負担がかかってしまうんですね。

4コーナーを回って直線では先頭を走っていたメイレディに突き放されて

3着のトライにも詰め寄られて

実況の竹之上アナウンサーも

「ポアゾンブラック、ピンチッ!」と。

でもここで手前を替えて、痛くない方の左脚から先に出すようになり

「ポアゾンブラック復活!!」という実況の通り、

最後は勝ったメイレディに半馬身差まで詰め寄りました。

もう何度も見ましたね、このレースVTRは。

 

 

大恵:仕方ないという気持ちと、悔しい気持ちとが入り混じった結果だったんですね。

 

村上様:兵庫ダービーはね、生産牧場の出口牧場のためにも勝ちたかったですね。

ポアゾンブラックはゴールドシップと幼馴染なんですよ。

 

ポアゾンブラックはオータムセールで買ってきた馬なのですが

当初、私は別の馬が欲しかったんです。

でも競り負けてしまって。

そしたら野田調教師が

「この馬どうですか?」っておっしゃるので

いつも庭先取引をしている岡田牧場の社長にも聞いてみたら

「その馬の生産の出口牧場って、うちの祖母の里ですよ。ちょっと聞いてみます。」

とすぐに調べてくださり、「良いですよ」と教えていただきました。

それで競りに参加し、落札しました。

それがポアゾンブラックです。

 

ゴールドシップの生産牧場として有名になった出口牧場は

繁殖牝馬が10頭ほどの牧場なんですね。

放牧時には牡馬と牝馬とが分けられますから、

さらに少ない頭数の中にゴールドシップとポアゾンブラックが一緒にいたということになりますよね。

ゴールドシップが日本ダービーで負けた後、6月7日に行われた兵庫ダービー。

ダービーの優勝写真を、出口牧場さんに送ってあげたかったですね。

 

私はゴールドシップの馬主さんとは面識はありませんが

奇しくも2頭とも色の名前がつけられていますしね。

 

 

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ソエの影響もあり兵庫ダービーは牝馬のメイレディの2着に破れてしまいました。

しかしこの後、移籍先のJRAでもメイレディとの因縁?が復活するのでした。

(明日につづく)