大恵 陽子 夢への第一歩


プリンセスジャックと桜井調教助手 Part.2

 

 

「プリンセスジャックと桜井調教助手 Part.1」から続きます~

 

 

プリンセスジャックを担当する桜井調教助手が

馬の世界に入るきっかけは何だったのでしょうか?

教えてもらいました。

 

*  *  *

 

高校卒業後は、何か手に職をつけたいと思っていました。

動物園良いけど、カエル嫌やしなぁ。

水族館良いけど、カエル嫌やしなぁ…

で、オーストラリアでホームステイしながら馬の学校に行っていました。

高校生の時、ナリタブライアンが好きだったんですよね。

オーストラリアの厩舎でも毎朝カエルが出没しましたが

バケツを叩いて追い払っていました。

 

英語はしゃべるどころか読むのも書くのもまったくダメでしたが

半年いれば、聞く分にはわかるようになりました。

「思い出作りに働きたいな」と思い

オーストラリアの厩舎で働かせてもらうことになったんですが

その厩舎は僕が来るまで調教師一人で8頭をやっていたところだったんです。

一日目、調教師に

「お前は何になりたいんだ?」

と聞かれ

「調教助手になりたい」

と答えました。

すると「任せとけ!!」と。

 

そしたら翌日にいきなり馬に乗って

その次の日には追い切りに騎乗していました。

これまで学校で乗っていたくらいで、競走馬には乗ったことがなかったのに。

2~3ヶ月もすると

「お前が全て乗れ」

と任されました。

でも、調教に乗っていても上手くコントロールできないし

馬も勝てないし。

そんなんじゃ申し訳ないので馬主と調教師の前で

「ちゃんとした人を乗せてください」

とお願いしたんです。

そしたら

「最初からうまく出来る奴なんているか!」と怒られてしまいました。

馬主も調教師も自分たちの生活がかかっているはずなのに。

もう引くに引けないですよね。

思い出作りのために始めたことが、結局もう1年いました。

 

日本人って真面目でしょ?!

雨の日はオーストラリア人はあまり調教に出てこないので

僕が売れっ子になるんですよね。

他の厩舎からも調教に乗ってほしいと声がかかったり。

調教師が田舎に帰っている時には

フリーで1頭いくら、というかたちで調教に乗ったり競馬に連れて行ったりもしていました。

そんなこんなで過ごしたオーストラリアから帰国する前

「ドバイに行かないか」と声を掛けられました。

オーストラリアで働いたことのある調教師の息子がドバイで調教師をしていたんです。

ただ、タイミングなどが合わず断って

日本で父の知り合いの北海道の牧場で働き、トレセンに入ってきました。

 

そんな風に高校卒業後はオーストラリアや北海道で過ごしていたので

6歳離れた弟とは小学生の頃から会っていませんでした。

久しぶりに会ったら、僕より背が高くなっていたんですよ。

 

* * *

 

小学生の頃の夢はサッカー選手だった弟さんは

その後、兄の背中を追ってホースマンとなりました。

弟・吉章調教助手は、トレセンに入って1年目にイコピコで重賞初勝利を挙げ

現在も西園厩舎で高松宮記念3着のハクサンムーンやハノハノなどを担当しています。

 

「コイツね、すぐすねるんですよー」

と、年の離れたお兄さんらしい発言もされていましたが

その表情には、我慢以上に愛情があふれていました。

 

 

弟と言えば、プリンセスジャックの弟がオークス直前にトレセンに入ってきました。

全弟にあたるジャックトマメノキも同じオーナー、そして加用正厩舎。

担当も同じ桜井嗣久調教助手です。

 

 

「弟のジャックトマメノキは、プリンセスジャックより大変ですね。

コントロールは効くんですが、普段が…。

ビビリのくせして人に向かってきたりするんです。

テンションが上がりやすいですね。」

 

こちらの弟に対しても、我慢とたっぷりの愛情が窺えます。

 

姉弟の母ゴールデンジャックは今春、心不全で亡くなったため

残された産駒たちに、ファンの期待は高まります。

 

「トレセンで働く人には、偉大な兄弟がもっとたくさんいますよ」

と桜井調教助手はおっしゃいます。

プリンセスジャックとジャックトマメノキの活躍で

桜井兄弟もその仲間入りする日も、遠くはなさそうです。

 

 

桜井嗣久調教助手とプリンセスジャック(鞍上は福永騎手)

 

 

 

 


プリンセスジャックと桜井調教助手 Part.1

 

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競馬リポーター 大恵陽子が「Oh Yeah!!」と感動したレースや馬にまつわるエピソードを

馬主へのインタビューやトレセンでの取材を通してお届けします。

毎月第1週目更新!

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第15回目は、母馬ゴールデンジャックとのつながりから

注目を浴びているプリンセスジャックを

違った角度から取材してきました。

2日間にわたってお届けします。

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プリンセスジャックの母ゴールデンジャックは

サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別(現在のフローラステークス)を勝ち

オークスでは6番人気ながら2着と健闘した馬でした。

その後は、デビュー間もない福永騎手が重賞レースで7回手綱をとりました。

そして初仔サイドワインダーは、重賞3勝。

そのうちの一つ関屋記念で手綱をとったのは

母の手綱もとった福永祐一騎手でした。

 

ゴールデンジャックの晩年は、産駒に恵まれない年が続いたこともありましたが

2010年、19歳の時に産んだプリンセスジャックは

母や兄の手綱をとった福永騎手が主戦となりました。

もちろん母・兄・プリンセスジャックとすべて同じ馬主です。

馬主の株式会社協栄は先代オーナーの時から

福永騎手とのつながりがあったのです。

 

一方、ゴールデンジャックは

娘プリンセスジャックが桜花賞に向けて調教を積んでいた3月15日早朝

心不全のためこの世を去りました。

直後の4月7日の桜花賞で

プリンセスジャックが追い込んできて3着と健闘した姿に

母ゴールデンジャックからのファンの中には

「ゴール前、泣いてしまった」

という方もいらっしゃいました。

 

続くオークスでは、ゴールデンジャックが2着だったこともあり

馬主と福永騎手とのつながりに加え

母と関連付けて注目されることが多かったプリンセスジャックですが

彼女自身はどんな仔なのでしょうか。

担当する加用正厩舎桜井嗣久調教助手にお話を伺ってきました。

 

 

「プリンセスジャックの第一印象は

『乗りづらいなぁ。競馬ちゃんとできるのかな』

というものでした。

ものすごく馬を怖がっていたんですよね。

乗り運動しててもなんでも。

牧場で評判は高かったようですが

『走るな』と思ったのはデビュー戦の2週間前からです。

もちろん悪くはなかったんですが

馬を怖がっていたので、逃げ馬としか考えていませんでした。

 

札幌デビューで、同時期に競馬場に入厩してきた

矢作厩舎の2歳馬といつも併せ馬をしていました。

その2歳馬が評判馬だったようで、たくさん取材も来ていたんですが

プリンセスジャックは併せ馬でその評判馬を全然相手にしないんですよね。

なので、新馬戦はちゃんと走れたら負けへんな、と思っていました。

ただね、新馬戦は勝ちましたが

ゲート出たら周りの馬に怯んで

直線は早め先頭で追い出したらそれにビックリしてましたが」

 

非常に怖がりな面を持ちながらも

素質の高さで新馬戦を勝利。

そして続く2戦目ききょうステークスでは、ゴール前の接戦をクビ差制し、優勝しました。

 

 

 

 

 

「これには福永騎手が一番びっくりしていました。

レース前から、調教に乗ってもらっていたのですが

トレセンでも馬がいっぱいいたら怖がって

頭反り返らせるような馬だったんですよ。

ただ、これから先を考えたら馬込みの中で競馬しないといけないし

内枠を引いたので「負けてもいいから」と、内で競馬しようと言っていました。

そしたら直線で抜けだした時には外の馬を弾いたんですよね!

勝ててよかったです。

この馬の場合、使い詰めるとよくないと思います。

この勝利で後々ローテーションが楽になり

クラシックに余裕を持って出られました。

プリンセスジャックはクラシックに出したいと思っていたので」

 

 

ききょうステークス後は

ファンタジーステークス4着、阪神ジュベナイルフィリーズ6着、チューリップ賞8着

に終わりましたが、クラシック第1戦の桜花賞では追い込んで3着と健闘しました。

桜花賞前は、グッと調子が良くなっていたんでしょうか?

 

「目に見えて何か良いとかはなかったですね。

カイ食いとかも別に…

乗ってる感じで『調子良いなぁ~』とは感じていました。

また、阪神競馬場は何度も来ている所だったので

馬もそこまでテンションが高くなかったです。

逆にオークスは輸送もありましたし、初めての東京競馬場で

テンションが高かったです。

この馬の場合、距離よりも調子やテンションの問題ですね」

 

怖がりでテンションが上がりやすいプリンセスジャックと

うまく接するコツは何なのでしょうか。

 

「我慢!

それしかありませんね。

牝馬は、あんまりキツく怒るとパニックを起こしてしまうんですよ。

悪いことは悪いって教えますが、

いつかできるようになればいいので、できるようになるまで我慢ですね」

 

プリンセスジャックにも、これまでの担当馬にも我慢を持って接してこられた桜井調教助手。

これまでに担当馬で重賞3勝されていますが

一番印象に残っている馬はどんな馬ですか?と聞くと

 

「そんなの全頭じゃないですか!」

 

という、とっつきにくそうな外見の印象とは違った(失礼!)愛情たっぷりの言葉が返ってきました。

我慢以上にたっぷりの愛情を持たれているんですね。

そんな桜井調教助手のホースマンとしての原点はオーストラリアにありました。

そして明日は、人馬の兄弟にまつわるエピソードにも迫ります。

弟達にもちょっぴり我慢している…のかも?

(明日につづく)

 

 

プリンセスジャックと桜井調教助手の奥様・息子さん

 

 

 

 


ウォータールルドと山岡正人様 Part.3

 

「ウォータールルドと山岡正人様 Part.2」から続きます~

 

 

 

山岡正人様はフレンチ店「祇園・うを多」を経営されています。

 

うを多=ウォーター?

 

もしかして、冠名はここからきているんでしょうか。

 

 

「いや、そういう訳ではないんです。
僕は小さい頃から勉強が好きじゃなくて、デスクワークのタイプじゃなかったので
料理の世界に入り、ホテルでシェフをやっていました。
その後別の所でお店をしていたのですが
父から「どうせやるなら祇園に出てきたほうが良い」と助言され
祇園に移って来ました。
元々父が『魚多』という割烹を経営していましたので
それをひらがなにして『うを多』と名付けたんです。
フレンチですが、元はお茶屋さんだったところで
外観は町家なんです。
中は、2階が以前はお座敷だったんですが
要望が多く、今はそこにテーブルと椅子を置いています。
1階はホント洋館のような感じですね。

 

冠名のウォーターですが、妹が沢田研二さんが好きだったんです。
そのバックバンドの名前から付けました。
お店の名前と冠名と、決めたのは同時期くらいでしたかね。」

 

料理の世界から馬主へ。
競馬とはいつ頃から関わっていたのでしょうか。

 

「父は30数年馬主をしていますが
競馬を始めたのは、僕の方が先でした。
17か18才の頃に競馬を好きになったんですが
その1~2年後、父が入院しました。
入院中ってやることないですし、周りの入院患者の中に競馬をやる方もいらしたみたいで。
それで父も馬券を買うようになり競馬が好きになりました。
その前から父は元調教師の故武田作十郎先生と知り合いだったんです。
武邦彦元調教師、河内調教師や武豊騎手の師匠の。
また河内調教師とも、まだ新人騎手だった頃からの付き合いで
色々と周りに競馬関係者はいたようです。
武田作十郎先生を偲ぶ会は毎年3月、うちで開いているんですよ。
武邦彦元調教師、河内調教師、武豊騎手、それにもう退職された厩務員さんたちが集まっています。」

 

 

ウォーターリーグ、エナン、ルルドの親子を管理する岡田厩舎とも
河内調教師からの紹介がきっかけでした。
京都ならではの人脈が人と人とをつないでいきました。

 

 

さて、ウォータールルドの今後はどんな風にお考えなのでしょうか。

 

「デビューから色んな距離を試してみましたが
1400~1600mに適性があることが分かりました。
また、パドックではカリカリしてイレ込み癖があって
冬でも汗をかくので、夏は北海道で休ませるようにしています。
それが良かったのか、昨年は休養明けからだんだんと良くなってきました。
しかし、まさかオープンまで行くなんて!
いま岡田調教師も一番期待している馬みたいです。

 

先日は残念ながら負けてしまいましたが
それまでは東京コースと相性がすごく良くて掲示板を外したことがなかったんですよ。
本当は今年、根岸ステークスに出たかったんですが賞金が少なくて無理でした。
今年も夏は休ませる予定ですが
理想プランは、秋の武蔵野ステークスから根岸ステークス、
さらにはフェブラリーステークスまで行けたら最高ですね!
JCダートは1800mで適性から外れるので、そこは無理です。
フェブラリーステークス一本でいきます。」

 

 

期待を裏切る活躍を見せてくれているウォータールルド。

ウォーターリーグ産駒の星として
これからも一生懸命に走り続けます。

 

 

 

(おわり)

 

 


ウォータールルドと山岡正人様 Part.2

 

「 ウォータールルドと山岡正人様 Part.1」から続きます~

 

 

ダートのオープンで活躍するウォータールルドは
両親も同じ山岡良一様の所有馬です。

 

父ウォーターリーグ×母ウォーターエナンという配合は
山岡正人様と生産牧場の伏木田修様がふたりでお考えになられました。
伏木田修様は、伏木田牧場の専務で
現場で牧場を取り仕切っています。

 

 

山岡様はこうおっしゃいます。

「伏木田牧場とはもう35~6年のお付き合いです。
なので息子さんの(伏木田)修ちゃんのことは生まれたての頃から知っているんですよ。
年に一回だけ北海道に行き、2日間で繁殖牝馬を預けている3つの牧場に育成牧場に…
とにかく全て回るんですが、そのスケジュールを修ちゃんがすべて組んで
空港まで迎えに来てくれるんです。
で、途中ウインズ静内に寄るというのがパターンです。
(ウインズ静内は今月をもって閉鎖予定)

 

毎年、所有している繁殖牝馬の配合は修ちゃんと相談して決めています。
昨年は、ルルドががんばってくれていたのもあり、エナンに再びリーグを付けました。
そう!ルルドの全弟です。
2月28日に無事産まれました。」

 

 

生後12日後の様子がこちら。

 

 

 

ウォーターエナンとウォータールルドの全弟。
右は伏木田修様

 

 

「かわいいやろ~?!
「ルルドと形は違うけど、ダートかな?」と修ちゃんは言っていました。
大きな流星があって顔が派手なので
走る時はなるべくメンコをせずに走らそうと思っています。
昨年はリーグをつけて種付け料が0円だったので
今年はエナンにディープインパクトを付けますよ!」

 

こうして血統の夢は膨らんでいくんですね。

 

ところでウォーターの冠名と言えば
私はウォーターポラリスを思い浮かべます。
武豊騎手が阪神3歳牝馬ステークス(当時)の時
「乗り味がスーパークリークにそっくり」と評していました。

 

「えっ!その話知ってるの?!
年末の特番『さんま・清の夢競馬』で話してたよね?!
GI回顧の番組だし、まさかウォーターポラリスの話をしてくれるなんて
思ってもなかったら、いきなり冒頭で話していてびっくりしました。
ビデオに録ってますよ。
新馬戦が強い勝ち方でしたからねぇ。
勝ちタイムが古馬1000万下のもので、しかも持ったままでしたから。
でも、この“持ったまま”というのが良かったんです。
ムチを打ったら途端にダメな子で、やめてしまう気性なんですよね。
河内騎手は
「ムチ置いてこか~?!」なんて言ってました。
体の形はバツグンだったんですが。

 

今はお母さんをしています。
今日(取材日の4月27日の京都2レース)も息子のウォーターポルトスが3着でした。
これまではずっとポラリスと同じ芦毛の子が生まれていたのですが
なかなか産駒は活躍せずで。
でもポルトスは初めて芦毛以外(栗毛)の子なんです。
未勝利は勝てそうかもね。

 

その下の2歳も楽しみですよ。
と言うのも、ウォーターポラリスにウォーターリーグをつけたんです。

リーグは、3回も骨折するくらい一生懸命走る子だったけど
ポラリスはムチを打たれるとやめちゃう子。
そこで、カンフル剤としてこの2頭を掛けあわせてみました。
いまアクティファームで育成中なんですが、わりかし良いみたいですよ。
ポラリスは芝もダートも走りましたが、この馬はダートかな?!
ウォーターリーグも他の牧場から種付けの依頼をいただければ
彼の維持費が出てくるのでいいのですが
まだ活躍馬はウォータールルドしかいませんからね。」

 

少しずつウォーターリーグの血が広がっていっています。
これぞ血のロマンですね。

 

 

最終回の明日は、山岡家と競馬のつながり、
そして今後のウォータールルドについてです。

 

 

 

(明日に続く)

 

 

 


ウォータールルドと山岡正人様 Part.1

 

 

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競馬リポーター 大恵陽子が「Oh Yeah!!」と感動したレースや馬にまつわるエピソードを

馬主へのインタビューやトレセンでの取材を通してお届けします。

毎月第1週目更新!

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第14回目はダートOP馬ウォータールルドとオーナーの息子様・山岡正人様です。

ウォータールルドや一族の血統への想いなど

3日間にわたってお届けします。

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ダートのオープンで活躍中のウォータールルド。

みなさん、彼の血統をご存知でしょうか。

 

 

父ウォーターリーグ
母ウォーターエナン

 

両親共にウォータールルドと同じオーナーの馬です。

 

今月の「Oh Yeah!!」はこの3頭を所有される山岡良一様の息子様で
ご自身も馬主の山岡正人様にお話を伺いました。

 

 

 

 

 

この血統にはどんな想いがこめられているのでしょうか。

まずは、父ウォーターリーグについて。

 

「ウォーターリーグは外国産馬なんですが、血統が良くってね。
ゆくゆくは種牡馬にもできるんじゃないかと調教師が見つけて来ました。
強い馬が他にいたので未勝利はなかなか勝てなかったんですが
いつでも一生懸命走るんですよ。
一生懸命走りすぎて3回も骨折しました。
オープンまで勝ち上がったんですが、レースに使おうと思っていたら
調教中にまた骨折してしまって。
それで、自分の繁殖牝馬につけようと思い種牡馬にしました。
今はアロースタッドにいます。」

 

一生懸命走り、6勝を挙げるも
その真面目さゆえに度重なる骨折が原因で引退となったウォーターリーグ。

 

では、お母さんのウォーターエナンはどんな馬だったのでしょうか。

 

「お母さんもこれまた良血でね。
祖母のFileはフォーティナイナーの母でもあるんですよ。
将来は繁殖牝馬に、とアメリカから買ってきた馬で
競走馬としては3勝しかできなかったけど
初勝利はダートで、その後は芝でも短いところだと走ってくれました。
ウォーターエナンは仔出しも良いし、面倒見も良いし
母親として優秀です。」

 

ともに良血で優等生だった両親。

しかし、産駒のウォータールルドは生まれつき脚が曲がっていました。

 

「前脚が今でも曲がったままです。
パドックとかで前から見てもらえば良くわかると思います。
他の調教師からは「よくこの脚で走るなぁ」と言われましたが
能力には関係ないですね。
今でも一番印象に残っているレースは2戦目。
初勝利を挙げたレースです。
この時はエーシンジェイワンが断トツ人気でした。
レースでもそのまま押し切るような雰囲気。
流れも前残りだったんですが
中団からグイーッとまくっていったんですよね。
グッと沈んだフォームでまくってきて
2着に来るか?!と思ったら2番手の馬をかわし
さらにグッともう一度フォームが沈んで
エーシンジェイワンをかわしてゴール!
いやぁ、これはすごかったですね。」

 

今後を十分に期待させる内容の未勝利戦だったのです。

 

この後のウォータールルドの活躍をきっかけに
今年産まれた仔がいます。

 

明日は、ウォーター一族の誕生秘話に迫ります。

(明日に続く)

 

 


ハナズゴールと野本調教助手 Part.2

 

 

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第13回目はハナズゴールと担当の野本調教助手です。

 「ハナズゴールと野本調教助手 Part.1」より続きます。

2日目は、阪神牝馬Sに向けて調整中のハナズゴールについて、
そして野本調教助手にもある変化がありました。

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オークスの後は休養を挟み
夏の札幌記念から始動となりました。

 

「函館で調整をしていて、札幌記念の時は前日輸送をしました。
初めての前日輸送。札幌に着いたのが16時頃でした。
ところが、エサは食べないし水も飲まないし…
さらに小回りコースでどこまでやれるかな?!という感じでした。」

 

と、不安要素がたくさんあったようですがフタを開けてみれば
牡の古馬相手に4着。
素質の違いを見せつけ
ローズSに向けて北海道から栗東へと入厩します。

 

ところが、ここでも再びアクシデントが。
ローズS前に腸炎にかかってしまいます。
再び直前での回避。

 

「この時は本当にぐったりしていて
1週間食べられたのは牧草だけでした。
年末にリゲルSを勝ちましたが、3ヶ月ほどでよく立ち直ったなぁと
回復力のすごさに驚きました。」

 

この後、年明けの京都牝馬Sで2つめの重賞制覇を達成したのですが

 

「はじめは、ここまで滞在が続くと見込んでいなかったので
途中で嫁さんに何度か長袖や冬物を追加で送ってもらいました。
来る時はほとんどなかった荷物が、京都牝馬Sが終わって帰る頃には
灯油缶が3つ入るくらいのデッカイ箱にも収まりきらず
人間が使う物以外は切り草の袋に入れて馬運車に積み込みました。
久しぶりに家族の元へ帰ると、
北海道へ行く前にはそんなにしゃべっていなかった
2才の長女がすごくしゃべるようになっていたんです!
でも、僕を見たら挙動不審になり
嫁さんの足にグッとしがみついていました。
父親だと分かっていたとは思うんですが、久しぶりすぎて…。
帰って2日くらいで大丈夫になったので、覚えてくれていたとは思います。」

 

そして、2月には野本調教助手に新しい家族が増えました。

 

「美浦に帰っているわずか1ヶ月半の間に長男が誕生しました。」

 

 

 

 

公私ともに充実し、ふたたびやってきた栗東。

 

「今回から出張馬房の厩舎が変わりました。
以前はリ-1で静かな所だったんですが
今回からハ-1。
ここは門の近くで車の通りが多いんです。
少し心配していましたが、
初め高かったテンションも今はもう大丈夫です。」

 

 

 

 

さらにこう続けます。
「使いつつあるとピリピリしてくることもあるんですが
今回は京都牝馬Sの後に美浦に帰って
一回ゆっくりさせたので大丈夫です。
一週前に追い切りはビシッとやったので
今週は軽くサラッとやる程度になると思います。」

 

一週前追い切りの27(水)は、栗東坂路時計TOP10にも入りました。
また前走の京都牝馬Sでは大きな成長点も。

 

「普段運動している時でも他馬とすれ違ったりするのを嫌うんです。
止まったり逃げたり蹴りに行ったり。
それが、前走では初めて馬群を割る競馬をしました。
あ、でもブラッシング嫌いは変わりませんけどね。
首のあたりをブラッシングしていると噛みにきたり、
腰のあたりをしていると蹴りが飛んできますので
だましだましやっています。
でも、噛まれたからといって、憎い!とかはないですよ。
これだけいい馬をやらせてもらって、オーナー夫妻には感謝しています。
阪神牝馬Sからこの後はヴィクトリアマイルの予定です。
大きいところを獲らせてあげて
デッカイ花嫁道具を持たせてあげたいですね。」

 

 

今年こそ、悲願のGI制覇に向けて。
ハナズゴールの春がはじまります。

 

 

 

 


ハナズゴールと野本調教助手 Part.1

 

 

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第13回目はハナズゴールと担当の野本調教助手です。

 

このコーナー第1回目ではハナズゴールのオーナーに
インタビューをしました。
山あり谷ありだった一年。
今回は野本調教助手の目線でハナズゴールについて語っていただきました。
2日間にわたってお届けします。

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ハナズゴールと野本剛史調教助手が初めて出会ったのは
厩舎の洗い場(馬を洗うところ)でした。

 

「入厩してきた時は、他の方が担当していました。
同じ厩舎なので洗い場で見かけていたのですが
あまりのおてんばっぷりに
「うわ…うるせぇ。こわいなぁ。」
と感じたのを覚えています。
それが、最初の担当者もその次の担当者も
以前からの担当馬が放牧から帰ってきたので
スライドして僕のところに回ってきました。
正直「げっ。」と思ってしまいましたね。
僕が担当したのはデビューする10日〜2週間前で
追い切りに乗った攻め専助手(調教専門の調教助手)は
「最初からいけるかもしれないぞ!走るよ!」
と言っていたのですが、調教に乗らない僕からしたら
「そうなのかな?それより、うるさい。」
って感じでした。」

 

野本調教助手がそうおっしゃるほどのおてんばっぷりだったハナズゴール。
しかし、攻め専助手の感じた乗り味はホンモノだったようで
デビュー戦を勝利で飾ります。
そして500万下クラスを3戦目で勝ちあがり
チューリップ賞へと駒を進めます。
阪神競馬場でのレースとなるため、栗東滞在することにしたのですが
ところが…

 

「初めての栗東で、カイ食いが落ちてしまって
戻すのに1週間くらいかかりました。」

 

-12kgでの出走となったチューリップ賞。
しかし結果はご存知の通り、圧勝でした。
のちの牝馬三冠馬ジェンティルドンナをも負かしたのです。

 

一躍、桜花賞の有力馬へと名乗りを挙げたハナズゴール。
しかし、予期せぬアクシデントが襲います。

 

桜花賞の最終追い切りを終えた水曜日。
洗い場で壁を思いっ切り蹴ってしまいます。
翌日には痛みで脚がつけないほどまで症状が悪化。

 

木曜日、出馬投票を前にして無念の回避でした。

 

「もう何て言ったらいいのか…
最後の最後で。
「どうしよう…」としか出てこなかったですね。
今でも色々考えます。
もうちょっと壁から離してたら、また違ったんじゃないか、
もう少し時間をおいてから手入れしたらよかったんじゃないか、とか。
オーナーにとっても、そしてトレセンに入って5年目だった僕にとっても
初めてのGI出走でした。」

 

一言ひとこと、
胸の奥から言葉を紡ぎだしてくださいました。

 

 

その後の状態はどうだったのでしょうか。

 

「美浦に戻ったのは桜花賞が終わってからなので
それまでは栗東で治療を受けていました。
ケガをしたからといって、大人しくなることはありませんでしたね。
注射はちゃんと獣医さんが打てたのですが
触診となると、蹴りが飛んでいってました。」

 

ケガをしていても、おてんばハナちゃんは健在だったようです。

 

「美浦に戻った後はぶつけた方の脚に鉄橋を打ちました。
蹄鉄の輪っかが空いている側に一本、橋のように棒をかけるんです。
ケガをした部分が砂とかで圧迫されないようにするためです。」

 

その後は、NHKマイルCとオークスは敗れましたが
休養を挟んで夏の札幌記念へと出走します。

 

 

(明日へつづく)

 

 


ソヴラーノと吉村調教師 Part.2

 

 

2日目の今日は。

名門・池江厩舎時代に馬名募集馬ソヴラーノの近親に携わってらした吉村調教師。

廃止になった荒尾競馬と深いつながりがありました。

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「父が荒尾競馬で調教師をしていて

荒尾競馬場で生まれ育ちました。

小学生の頃は夕方に裸足でコースを走り回ってたんですよ。

運動会前には「ボロを踏んだら脚が速くなる!」とか言って

踏んで走ったりしていました。

そんな思い出が詰まった場所です。

向正面に有明海が望めて、本当にいいところですよね。

 

荒尾競馬の大変な状況に、はがゆさはずっとありました。

「何かしてあげられることはないか」と。

でも、ないんですよね…微力じゃ。

赤字続きで相当大変だったようで、

廃止に際して最後は誰も反対する人はいなかったらしいと聞いています。

もうみんなぎりぎりのところでやっていたんでしょう。

 

競馬場が廃止になって、追分ファームに就職した仲間もたくさんいるんですが

11月に追分ファームに行った時、みんなに会えました。」

 

 

 

 

今は荒尾競馬を離れている吉村調教師にとっても

生まれ育った競馬場が廃止になるのは相当つらいことだったようです。

廃止となるその日は、競馬場に行かれたのでしょうか?

 

「初めは行かないつもりでした。

調教師だった父は、私が調教師試験に合格した数カ月後に亡くなって

母はいまこちらで一緒に暮らしているんですが

母に「どうする?」と聞くと

「辛くなるから行かない」ということだったので

私も行かないつもりでした。

でも、栗東トレーニングセンターにも荒尾出身の方は意外と多くて

廃止になる日の朝、トレセンで「今日荒尾競馬場に行ってる人がいる」と聞きました。

午前の仕事を終わらせて帰宅し、母に

「結構みんな行ってるみたい」と話すと

やっぱり行こう!となり、すぐに新幹線に乗って駆けつけました。

13時半までには着いていましたかね、スタンドから観戦しました。

やっぱり行ってよかったです。

知っている人もいましたし。

JRAに入る前に3~4年、荒尾競馬の父の厩舎で働いていましたしね。」

 

名門・池江厩舎出身のイメージが強い吉村調教師ですが

ホースマンとしてのスタートは荒尾競馬だったのです。

JRAと違い、申請すれば厩舎で働けるため

中学卒業後、父の厩舎で働いていました。

そんな荒尾時代に思い出に残っている馬は?

と伺うとこんな意外な答えが返ってきました。

 

「何頭もやっていましたが、それよりも…

悲しい結末、現実を迎えて送り出さないといけないのが辛かったです。

JRAで走ってたけど屈腱炎とか脚元に問題を抱えてやってくる馬が地方は基本的に多いです。

気をつけながらやりますが、それでも何勝かしたらまた脚元がダメになってしまうことが多かったんです。

地方、特に九州には手術できるような施設もなくって、骨折しただけで最悪の場合安楽死ということもありました。

そんな風にして、走れなくなって馬肉になっていく現実が辛かったですね。

もちろん、勝って嬉しいのは嬉しいのですが、それよりもこの現実のほうが印象に残っています。」

 

馬肉…ぐさっと突き刺さるワードです。

荒尾競馬場の近くで「馬肉」と看板を掲げた精肉店をいくつか見かけたことがありました。

JRAを引退した馬の行き先は、いくつかありますが

地方競馬、荒尾競馬を引退した馬の行き先は…。

 

そんな荒尾での経験を経て

吉村調教師はJRAの調教師試験に合格されました。

 

「父は荒尾競馬場で調教師をしていましたので

JRAと地方競馬の施設や注目度の違いを身にしみて感じていたと思います。

やっぱり騎手もそうですが調教師も何にしても、JRAと地方競馬は違いますよ。

なので、JRAの調教師試験に合格した時は本当に喜んでくれました。」

 

今はなき荒尾競馬での様々な想いを

きっと胸に秘めてらっしゃるんでしょうね。

 

 

 

さて、話をソヴラーノに戻します。

 

「藤田社長の馬はアメリカ産馬で、牛みたいにマッチョで

馬房では大人しい馬が多いんです。

ソヴラーノはお父さんがFusaichi Pegasusなので

運動中はやんちゃで、立ち上がったりしますが

馬房では大人しいんです。

厩舎ではリラックスしてメリハリをつけることは大切ですよね。

成績を残している馬は、そういう馬が多いですね。」

 

吉村調教師がそうおっしゃる脇で

ゴロンと横になり、チップまみれになったソヴラーノ。

 

 

 

 

 

現在は

栗東トレーニングセンターから程近い吉澤ステーブルに短期放牧に出ています。

1ヶ月ほどで戻ってきて

2回阪神の最終週ダート1800mを今のところ予定しています。

(おわり)

 

 


ソヴラーノと吉村調教師 Part.1

 

 

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競馬リポーター 大恵陽子が 「Oh Yeah!!」と感動したレースや馬にまつわるエピソードを

馬主へのインタビューやトレセンでの取材を通してお届けします。

毎月第1週目更新!

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第12回目は2012年の馬名募集馬ソヴラーノと吉村調教師です。

近親インオラリオやインバルコとのつながり、

そして吉村調教師と荒尾競馬のつながりを2日間にわたってお届けします。

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昨年の春

このホームページのイベントで

馬名を一般公募し名付けられたソヴラーノ。

昨年末の新馬戦は9着だったものの

2戦目で3着と大健闘しました。

 

2戦目の何日か前

「来週ソヴラーノの取材に行かせてください」

と吉村調教師にお願いしていました。

 

「取材に来てもらって、恥ずかしい結果だったら申し訳ないなぁと思っていたら

3着で見せ場をつくってくれて良かったです。

(ソヴラーノに向かって)なぁ、見せ場つくれてよかったなぁ♪」

 

と、吉村調教師はたびたびソヴラーノに話しかけながら

終始笑顔でした。

 

 

 

 

3戦目は

「馬場が回復してくれれば良いのですが」

との願いもむなしく、重馬場でのレースとなり

結果は7着。

 

「やはり速い馬場が合わず結果を出せませんでした」

と残念がっていました。

 

 

ソヴラーノはまだ3戦しかしていませんが

どんな可能性を秘めているのでしょうか。

それを探るため

3/4同血統の近親インバルコについて聞いてみました。

 

「え、インオラリオじゃなくて?

調教助手~技術調教師時代に所属していた池江泰寿厩舎で

インバルコに携わっていましたが、ずぶくてねぇ。

デビュー前の追い切りには川田騎手が乗ったんですが

「大丈夫?」なんて言ってました。

ホント、タイムオーバーになるんじゃないかと心配していたら

2着だったんですよ。

ソヴラーノも、インバルコほどではありませんが

ずぶいところがありますね。」

 

それで速い馬場だった3戦目では

結果が残せなかったんですね。

 

「ちなみに、インオラリオもソヴラーノの近親で、叔父にあたります。

この馬も池江厩舎に元々いた馬で

厩舎開業に合わせて転厩してきたのですが

厩舎2勝目をオープン特別コーラルSで、それもレコードで飾ってくれました。

この勝利にはびっくりしましたね。

嬉しいというよりびっくりでした。

タイミングが、私の所でたまたま合ったんです。

 

Knight Prospectorの血が入るとスピード優先の馬が多いのですが

インオラリオも然りで、若い時は逃げしかできないほどだったんです。

気性も難しかったのが年を重ね、また池江厩舎スタッフみんなで教えていき

控える競馬を覚えさせていました。

それが上手くかみ合って、コーラルSでのレコード勝ちにつながったんだと思います。」

 

ここでひとつ疑問が。

Knight Prospectorの仔たちはスピード優先、とおっしゃいましたが

孫にあたるソヴラーノは「ずぶい」、

そして同じく孫のインバルコは「もっとずぶい」とおっしゃっていました。

なぜでしょう?

 

吉村調教師曰く、

「Fusaichi Pegasusが入っているからじゃないでしょうか。

距離が持つようになるのかもしれません。

インバルコも中距離で活躍していますし。」

 

インバルコは2000m前後で活躍、

ソヴラーノも1800mを意識して使われています。

ずぶさゆえ、中距離でも活躍できるということなのかもしれません。

 

 

さて、インオラリオ、インバルコ、ソヴラーノ

この3頭を所有するのは藤田孟司様です。

 

「藤田社長には技術調教師の時から「馬を入れてあげる」と言っていただいていて。

ありがたいです。

 

でもインオラリオがウチの厩舎で5戦した後

調教中に亡くなってしまったんです。

ショックでした…。

 

でも馬房が空いてしまって、他の馬を入れないといけない。

そんな時、以前からウチで預かることが決まっていたソヴラーノが

当時2歳で育成場にいたので入れてもらいました。

なので、ソヴラーノには思い入れがあるんです。」

 

 

 

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ソヴラーノの近親にも携わってらした吉村調教師の

ホースマンとしてのスタートは、荒尾競馬でした。

明日は、2011年に廃止になった荒尾競馬とのつながりを

お届けします。

(明日につづく)

 

 


トウカイトリックと大平助手

 

 

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第11回目は、12月のステイヤーズステークスで競馬ファンをびっくりさせた

おじいちゃん馬トウカイトリックと担当の大平助手です。 =============================================

 

 

「考えてみたら、年明けて11歳やもんね!」

 

担当の大平助手でさえそうおっしゃるトウカイトリック。

昨年12月には10歳にしてステイヤーズステークスを制しました。

年を重ねても活躍するその背景には

なにか秘訣があるんじゃないか?

そう思い取材に伺いました。

 

 

「秘訣?ないですね~!

丈夫なんですよ、馬が。」

 

私の思惑は、一蹴されてしまいました。

 

脚元、体、全体的に悪いところがなく

今まで故障等で休養したこともないその丈夫さが

息の長い活躍の一番の秘訣のようです。

 

その丈夫さを物語るひとつにオーストラリア遠征があります。

 

8歳の秋にオーストラリアに遠征し2戦。

結果は残せませんでしたが、

季節が真逆の南半球で、たった1頭戦い抜いてきました。

当時は

「検疫~オーストラリアに着いてしばらくの計3週間ほどは

馬に会っていなかったので、久しぶりに馬に会った時は

「馬やーっ!!」って感じにすごく喜んで

立ち上がったりしていました。

普段は寂しがり屋なとこもなく、しっかり自立しているんですけどね。

やっぱりずっと1頭で不安で、精神的にもきつかったんでしょう」

 

輸送も、メルボルンへの直通便がなく

香港経由で約18時間かかったそうです。

それでも帰国してからもコンスタントに走り続け、

活躍しているのですから、精神的にも肉体的にも丈夫なんですね。

 

そんな百戦錬磨、競走馬としてベテランの域に入っているトウカイトリック。

普段はどんな馬なんでしょうか?

 

「トリックは、僕より自分のほうが上やと思ってるんです。

召し使い的に思ってるんでしょうね、強気に出てきますよ。

アゴで「オ~イ!」って感じにつついてきます。

最初にトレセンに来た頃は右も左も分からん感じで

ボーッとしてて、大人しい子でした。

それが年をとると…笑」

 

そうおっしゃる大平助手もこの道のベテラン。

 

 

 

 

おじさんが馬運車の運転手をされていたり、競馬はそう遠くない世界でした。

知り合いからの紹介で「やってみようかな」と思い

この世界に入って28年。

担当馬の重賞勝ちは

「嬉しい!」よりも「ほっとする」とおっしゃいます。

 

「その馬の元々持っている素質を、なるべく出せるよう

マイナスを少なくしてあげたい。

勝てるものをもっているから、勝たせてあげたいんですよね。

だから重賞を勝つと、気持ち的に余裕ができます。」

 

昨年末のステイヤーズステークスは

「調子が良かったので

ぶっちゃけ、掲示板はのるんじゃないかと思っていました。

メンバー的にも、自分たちも含めてだれが来てもおかしくなかったので。

とは言っても、さすがに勝つまではさすがにないと思っていたのでびっくりしました。」

 

 

2頭の三冠馬と戦ってきたトウカイトリックは

この春も現役続行予定です。

もしかしたらまた、私たちそして大平助手をびっくりさせるかもしれません。