北新地競馬交友録

年の瀬に

人生が二度あれば by井上陽水

父は今年二月で六十五
顔のシワはふえてゆくばかり
仕事に追われ このごろやっと ゆとりができた

父の湯呑み茶碗は欠けている
それにお茶を入れて飲んでいる
湯飲みに写る 自分の顔をじっと見ている
人生が二度あれば この人生が二度あれば

母は今年九月で六十四
子供だけの為に年とった
母の細い手 つけもの石を持ち上げている

そんな母を見てると人生が
誰の為にあるのかわからない
子供を育て 家族の為に年老いた母
人生が二度あれば この人生が二度あれば

父と母がこたつでお茶を飲み
若い頃の事を話し合う
想い出してる
夢見るように 夢見るように
人生が二度あれば この人生が二度あれば
人生が二度あれば この人生が二度あれば

人生には幾つものifがある。
もし、あの学校に入ってなかったら?
もし、この会社に勤めてなかったら?
もし、今の奥さんと結婚してなかったら?
平均寿命を折り返した頃から、そんな事が気になり出す。
若者は未来に思いを馳せるが、歳を取るとともにそんな思いが頭をよぎる事が増えてくるのだ。
しかし、どれだけ考えても、ifの結末は判らない。

もし、その結末が判ったらどうであろう。
「あ〜つまらない、甲斐性なしの男と結婚してしまったわ。あの頃はモテモテで他の男と結婚する機会はいくらでもあったのに」
そして、他の男を選んでいたら、今よりもっと充実した暮らしが出来ていたのが判ってしまったら。
多分、ショックで1ヶ月は寝込む事になるだろう。
でも知ってみたい、そんな欲求が頭の中に充満して、ifが集団でフォークダンスを踊り続ける。

なんでこんなに競馬が好きなんだろうか?
そう自らに問うてみる。
お金が欲しいから、それもある。
しかし、簡単には儲からない。
いや、ほぼ絶望的に儲からない。
普通の方には、「お金が欲しいなら、競馬はやらない方がいいよ」
そうアドバイスしてあげたい。
私の場合の理由は「結果が判るから」かも知れない。

競馬の予想と云うのは、己の持っている全能力を駆使して行う。
運否天賦でサイコロを転がしてる訳でもなければ、カードをめくっている訳でもない。
その点が人生とシンクロする部分がある。
軸馬は何がいいか?
血統的にこの距離が持つのか?
騎手はキチンと先行するだろうか?
57kgじゃカンカン泣きすんじゃないだろうか?
考え出したらキリがないが、ベルが鳴った時点で馬券を購入するしかない。
そして、長くて3分50秒、短くて1分を切る時間で結果が出るのだ。

人生では、いくらifを積み重ねても、結果は知る事が出来ない。
それはそれで幸せな事でもあるのだが、宙ぶらりんの気持ちを抱えたまま生き続けるしかない。
人生が二度あれば!と唄った井上陽水。
二度どころか一度しかなく、しかもその一度さえ、自分の選択が正しかったのかどうかを確かめる術はない。
ありがたい事に競馬は毎週ある。
「よっしゃ!それでいい!」
人生では何度も上げる事が出来ない雄叫びを、心置きなく上げる事が出来るのは、競馬ファンへの神様からのプレゼントなのかも知れない。

最後に競馬をこよなく愛した天才詩人寺山修司の言葉をご紹介させていただく。

カモメは飛びながら歌を覚え 人生は遊びながら年老いていく 遊びっていうのは もう一つの人生なんだな 人生じゃ負けられないような事でも 遊びでだったら負けることも出来るしね 人は誰でも遊びっていう名前の劇場を持っててね それは悲劇だったり喜劇だったり 出逢いがあったり別れがあったりするんだ そこで人は 主役になることも出来るし 同時に観客になることも出来る 人は誰でも二つの人生を持つことができる 遊びはそのことを教えてくれる

あそびを競馬に置き換えてみると、人生は一度しかないが、競馬がもう一つの人生を与えてくれると寺山修司は云っているんだと思う。
納得である。
だから、私は毎週競馬に淫してしまうのである。
「そのまま〜!地球一周してもそのまま〜」
来年も叫ばせて貰おう!


今年の5月からスタートした『北新地競馬交友録』
皆様のお陰で何と180回を数える事が出来ました。
感謝の一言でございます。
皆様、よいお年をお迎えくださいませ!